-
パタゴニアの神秘を生み出す氷河の働き
-
南アメリカ大陸の南端、アルゼンチンとチリの国境にまたがるパタゴニア。切り立った岩峰や青い湖、固有の動植物など、変化に富んだ自然環境が、旅や自然を愛する人たちを魅了しています。
-
パタゴニア特有の美しい景観をつくり出しているのが、岩山を削りながら湖に注ぐ氷河の存在です。アンデス山脈の南端には南半球では南極に次いで大きい南パタゴニア氷原が広がり、その面積は13,000平方キロメートルにも及びます。
南パタゴニア氷原からは大小の氷河が流れ出し、そのうちの多くが湖や海に注いでいます。そうした末端が海や湖に流れ込む氷河はカービング氷河と呼ばれます。カービング氷河は末端の水域で氷山が切り離されることにより、陸上に末端がある氷河より複雑な変動を見せます。北海道大学低温科学研究所はパタゴニアにおける氷河変動に注目し、30年以上前から調査活動を続けてきました。
近年、世界中でカービング氷河の急速な後退が観察されています。パタゴニアでも同様の傾向が認められたことから、私たちは2011年にプロジェクトを立ち上げ、詳しい調査を開始しました。
-
図1:南米大陸の南端に位置するパタゴニア。南パタゴニア氷原で湖に流入するカービング氷河の観測を行いました。画像はESAとNASAによる人工衛星データ。
-
氷河変動を解く手がかりを求めて湖へ
-
パタゴニアのように広大で自然環境が厳しい場所で威力を発揮するのが、人工衛星による観測です。南パタゴニア氷原の主要なカービング氷河に関する氷河後退と流動の測定データからは、1980年代からの30年間で、ほぼすべてが縮小傾向にあることがわかりました。さらに3つの氷河では6キロメートル以上も後退していることが明らかになったのです。
人工衛星のデータからは、他にも興味深いことがわかりました。湖に流れ込むペリートモレノ氷河とアメギノ氷河という隣り合った氷河を測定したところ、2000年から2008年の間に、アメギノ氷河は20メートル以上も氷が薄くなった一方で、ペリートモレノ氷河は数メートル厚くなったことが判明。ほぼ同じ気象条件でも、まったく異なる変動を示したのは、湖で氷河から切り離される氷山の量や氷が水中で融ける速度が、氷河の後退に大きな影響を与えていると考えられました。
-
これまで氷河と水の相互作用に関する研究は、海に流れ込む海洋性カービング氷河が中心で、湖に流れ込む淡水性カービング氷河の研究はほとんど例がありませんでした。「カービング氷河の変動を解くカギは湖にある」。人工衛星データの解析からそのような結論に達した私たちは、パタゴニアの湖を目指しました。
調査を行ったのはペリートモレノ氷河、ウプサラ氷河、ヴィエドマ氷河がそれぞれ流れ込む湖。小さなボートに乗り、氷河の末端が崩落する危険性や強い風によって起きる高波にさらされながら、水深や水温、濁度の測定、採水など、慣れない観測に挑みました。
-
図2:2000~2008年におけるペリート・モレノ氷河とアメギノ氷河の表面標高変化。アメギノ氷河では平均20メートル以上表面が低下しました(Minowa et al., Ann. Glaciol. 2015を改変)。
-
カービング氷河の驚くべき変動メカニズム
-
苦労の末に得られたのは驚くべき結果でした。ヴィエドマ氷河の流入域では、湖水の温度が表面から118メートルの深さまでは比較的温かく、そこからわずか1メートル下で4℃以上も低くなり、深さ300メートル以上の湖底までほぼ凍結温度の冷たい水が観測されたのです。さらに湖の深部では水圧がかかるため水温は0℃以下になっていました。また、湖底付近の水には多くの土砂が含まれ、氷河から流出した冷たい融解水が湖底近くに溜まっていることを示していました。
これは、海洋性カービング氷河とは大きく異なる特徴でした。海洋性カービング氷河の場合、氷河の融解水は海水よりも軽く、上部に浮かび上がります。そのため、温かい海水が氷河付近に集まり、海中で氷が融けるのを促します。
一方、ヴィエドマ氷河では、融解水は湖水より比重が重く、湖底付近に溜まります。湖底は常に冷たい水で満たされるため、氷の融解は進みにくくなります。さらに、氷河の末端から2キロメートル沖では湖底が盛り上がり、冷たい融解水をせき止めていることもわかりました。これらの成果を報じた私たちの学術論文は、米国地球物理学連合の機関誌において、ハイライト論文として紹介されました。
パタゴニアには、数多くのカービング氷河が存在しています。多様な氷河変動をさらに深く理解するために、2016年にはチリ側で氷河と湖の観測を開始しました。また、2013年からはグリーンランドで海洋性カービング氷河の観測を継続。2012年に続いて2018年には南極沿岸でもカービング氷河の観測を行います。 これからはパタゴニアと北極・南極を舞台に、カービング氷河の変動メカニズムの解明を目指していきます。
-
図3:ヴィエドマ氷河末端部の写真と湖の水温分布。湖の深い部分はとても冷たい水で満たされています(Sugiyama et al., JGR 2016を改変)。
-
-
教授 杉山 慎
1969年生まれ、愛知県出身。専門は氷河学・雪氷学。
1993年に大阪大学修士課程修了、当時の専門は物性物理学。
1993年に信越化学工業に入社、光通信デバイスの開発研究に携わる。
1997年から2年間、青年海外協力隊に参加し、ザンビア共和国にて理数科教師。
2000年に北海道大学で氷河研究を始め、2003年博士課程修了。
2003年からスイス連邦工科大学研究員。
2005年から現在まで低温科学研究所に勤務。
趣味はサッカー、オートバイ、山登り、山スキー。 -
-
2017年7月31日公開