Research Frontiers 北海道大学低温科学研究所


  • case 5 助教 大場 康弘

    宇宙空間の環境を再現し生命のルーツの解明に挑戦


  • 暗黒星雲にアミノ酸はあるか?


  • 地球上で大いに繁栄している多種多様な生命。そのルーツを探す科学者たちの視線は、はるか彼方の宇宙空間にも向けられています。生命に必要な物質には、隕石や彗星によって宇宙空間から運ばれてきたと考えられるものがあるからです。

    例えば、タンパク質の材料となるアミノ酸のうち、最も単純な構造を持っているグリシンは、隕石や彗星から得られたサンプルによって、地球外の環境にも確かに存在することがわかっています。

    多くの研究者がさまざまな試みを行っていますが、星や惑星系の誕生の場である暗黒星雲(星間分子雲)では、まだグリシンが発見されていません。しかし、暗黒星雲に近い環境を作り出しての実験では、グリシンは最も作りやすいアミノ酸であり、暗黒星雲に豊富に存在する氷(H2O)のなかでは紫外線を浴びても分解しにくいこと、さらにはグリシンの材料となりそうな分子が多く存在していることから、いずれグリシンが発見されるだろうと期待されています。

  • fig1

    写真1 : プラズマ
    実験室内では、重水素分子(D2)をプラズマ状態にして、重水素原子(D)を作製する。赤〜ピンクに見える部分は重水素イオンが電子を捕獲した後に放出される光で、星間分子雲で見られるものと同様。

  • fig2

    写真2 : horsehead nebula
    オリオン座に位置する星間分子雲で、その形から「馬頭星雲」と呼ばれている。赤い部分は水素イオンが電子を捕獲した後に放出される光。黒色の部分はガスや星間塵と呼ばれる塵の密度が高い領域で、背景の光を透過していないことがわかる。本研究でおこなった反応は、その塵上で起こると考えられる。


  • 宇宙に探す生命のルーツ


  • ところで、分子には、同じ種類・同じ数の原子を組み合わせたものでありながら違う構造を持つ「異性体」があるものが存在します。この異性体のうち、立体的な構造の違いによって右手と左手の関係のように鏡で映したような配置になり、互いに重ね合わせることができない異性体を、鏡像異性体または光学異性体と呼びます(図1)。

  • アミノ酸や糖の多くは光学異性体を持ちますが、生体内ではこれらの分子はほぼ片方の構造で存在しています。このように、片方の光学異性体しか持たない状態はホモキラリティと呼ばれています。

    地球上におけるホモキラリティの起源に関しては、これまでにさまざまな仮説が提唱されてきました。しかし、いまだに解明されておらず、生命の起源における最大の謎の一つとなっています。

    また、ホモキラリティの前提として光学異性体の存在が必要となりますが、光学異性体を持つ有機分子の生成には大きなエネルギーが必要であり、−173℃より低い温度では光学異性体を持つ分子が生成するかどうかわかっていませんでした。

    つまり、極低温(−263℃、絶対零度に近い温度)である暗黒星雲では光学異性体の生成は難しく、ホモキラリティの存在も難しいとされてきたのです。

  • fig3

    図1 : キラルグリシン
    両手の写真にキラルグリシンの模型をおいて加工した写真。キラル、つまり光学活性な分子は、いわゆる我々の右手・左手のように、互いに立体的に重ね合わせることができない。


  • 宇宙で最初の光学活性アミノ酸、生成経路を解明!


  • 暗黒星雲の分子には、重水素原子が多く含まれているという特徴があります。私たちの研究チームでは、暗黒星雲にグリシンが存在するならば、他の星間分子と同様に、水素が重水素に置換されているのではないか?と考えました。

    そこで、極低温の暗黒星雲の環境を再現できる実験装置を開発して実験したところ、グリシンと重水素原子との反応によって光学異性体を持つグリシンが生成されることを確認しました(図2)。量子トンネル効というエネルギーの壁をすり抜ける現象が起こり、極低温で光学異性体を持つ分子が生成されたのです。

    これは二つの意味で、驚くべきものでした。
    実は、グリシンはアミノ酸の中では珍しいことに、光学異性体を持っていないのです。そのグリシンが、重水素と反応することで光学異性体を生成しました。そしてそれは、光学異性体の生成に必要と考えられていた温度よりも低い極低温の環境で起こりました。

    繰り返しとなりますが、グリシンはアミノ酸の中で最も単純な構造を持つため、最も作りやすいアミノ酸だといえます。そのため、「暗黒星雲の環境でグリシンが重水素と反応し、光学異性体を生成した」というこの実験の結果により、グリシンが分子進化(単純な原子・分子がさまざまな化学反応を経験することで、より構造的に複雑で大きな分子に変化していくこと)の過程において最初の光学異性体を持つアミノ酸だと考えることができるのです。

    また、このような星・惑星系誕生の初期段階で光学異性体が生成されたということは、片方の光学異性体しか持たないホモキラリティも、これまで考えられてきたよりも遥かに早い段階で発現していても不思議ではない、と考えられるのです。

    しかしながら、生命を構成するアミノ酸や糖がなぜ片方の光学異性体のみで構成されるのかは、いまだに謎のままです。今後は光学活性グリシンが分子のホモキラリティ発現にどのような影響を及ぼすのか、実験的に解明されることが期待されています。

  • ※量子トンネル効果
    物質を粒子として扱う古典力学では、化学反応が進むためには反応物が活性化障壁(化学反応を起こすために必要なエネルギー)を乗り越えるエネルギーが必要となる。しかし、水素原子、重水素原子など質量の小さい粒子は波動性が顕著であるため、エネルギーがなくても活性化障壁を透過して化学反応が進む。このことを量子トンネル効果という。

  • fig4

    図2 : 本研究で調べたグリシンと重水素原子との反応を模式的に描いた図。

  • fig5

    写真3 : 反応基板
    実験装置の中心に設置されたアルミニウム製の円形基板で、グリシンと重水素原子はこの上で反応している。その温度はおよそ−261℃(12ケルビン)。基盤の左に見える筒状のものが、D原子を導入するパイプ。

  • fig6

    写真4 : 反応装置
    研究に用いた実験装置の全体図。装置の上部には反応基板冷却用のヘリウム冷凍機が取り付けられている。左に見える原子源には生成された重水素原子を冷却するため、液体窒素を導入できるようになっている。


  • fig7

  • 助教 大場 康弘

    1978年 北海道札幌市生まれ
    2001年 筑波大学第一学群自然学類卒業
    2004年 東京都立大学大学院化学研究科修士課程修了
    2007年 岡山大学大学院自然科学研究科博士課程修了
    2007-2008年 米国ネバダ大学リノ校博士研究員
    2008年より,北海道大学低温科学研究所にて勤務。博士研究員,日本学術振興会特別研究員,特任助教を経て,2015年より現職。
    専門は宇宙地球化学。現在,星間分子雲における化学進化(とくに重水素濃集度の変化)に関する研究に従事している。
    子供(6歳♂,2歳♀)と遊ぶことが生きがいの一つ。


  • 2016年6月7日公開

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