Research Frontiers 北海道大学低温科学研究所


  • case 3 教授 福井 学

    赤く染まる雪の謎と低温環境で生きる微生物


  • 南極の「血の滝」、尾瀬の「アカシボ」


  • fig1

    写真1: 南極テイラー氷河で観察される血の滝 (出典先:National Science Foundation/Peter Rejcek)

  • 南極のテイラー氷河には「血の滝」という、ショッキングな名称の滝があります。

    もちろん、流れているのは本物の血ではなく、赤茶色に染まった水。

    存在自体は1900年代から知られていましたが、発生メカニズムに科学的なメスが入ったのは、近年になってからのことです。

    「血の滝」現象は、広い意味では彩雪現象と呼ばれるものの一種。

    彩雪現象は、雪の表面が絵の具で着色したかのように赤や緑、青などに染まって見える現象で、赤雪が最も多く観察されます。

    彩雪現象は世界の山岳地帯や南極・北極などで観察されており、それほど珍しいものではありません。

    日本では尾瀬ケ原の「アカシボ」がよく知られています。

    アカシボは、雪解けを迎える5月初旬に出現する、残雪の表面が赤茶色に染まって見える現象です。

    これらの彩雪現象は、微生物の増殖や、鉱物の浸出などによって引き起こされています。

  • fig2

    写真2: 南極リュッツホルム湾ラングホブデのやつで沢で観察された赤雪現象(2006年1月26日撮影)

    fig3

    写真3: 群馬県尾瀬ケ原のアカシボ現象。 融雪期に積雪が赤褐色に呈する。


  • 藻類がつくる赤い雪


  • 彩雪現象は、そこに関わっている微生物がどのようにエネルギーを得て増殖しているのかという点で、大きく2種類に分けることができます。

    一つは、雪氷藻類によるもの。

    藻類は川や池、湖、海などの水の中にいる一般的な微生物で、光合成をして繁殖します。雪氷藻類は、10℃以下でも繁殖が可能な種類。雪氷藻類が増える過程でつくりだす光合成色素(クロロフィル)や補助色素(カロチノイド色素)が、雪が緑や赤に見える原因となります。

  • fig4

    写真4: 南極リュッツホルム湾ラングホブデのやつで沢で観察された緑雪現象(2006年1月26日撮影)

  • fig5

    写真5: 紫外線の強い夏の南極の様子。

  • 雪氷藻類による彩雪現象は、藻類にとって栄養となるものが少なく、DNAを傷つけるほどの強い紫外線が降り注ぐ夏の南極でも、観察されています。

    融雪期である夏になると、南極の昭和基地から数十キロほど離れた雪田に彩雪現象が現れます。

    藻類が増殖するための栄養としているのは、ユキドリやペンギンといった鳥のフンなど。その鳥たちの餌は、オキアミなど海水中のプランクトンです。つまり、南極の彩雪現象は海洋生態系に支えられているとも言えます。

    また、雪氷藻類がつくりだすカロチノイド色素(ここではアスタキサンチン)には、紫外線を吸収して細胞内のDNAの損傷を防ぐ効果があります。微生物は高濃度にアスタキサンチンを生産することで、紫外線から自分を守って生き延びているのです。

    雪氷の表面を彩色するほどに増殖している微生物は、その過程で有機物をつくりだしています。周辺にはその有機物を栄養として利用するバクテリアも増えるため、彩雪現象の周辺では、低温環境に適応した特異的な微生物生態系がつくられています。

  • fig6

    写真6: 南極宗谷海岸ラングホブデのやつで沢雪田において観察された赤雪現象(2006年1月26日撮影)。矢印で示した赤雪の光学顕微鏡写真:現場で採取した赤雪中には直径10〜30μmの赤色の緑藻類細胞の他にも緑色細胞も観察される。

  • fig7

    写真7: やつで沢から採取した赤雪の顕微鏡写真。A) 透過光像、B) DAPI染色後のUV励起落斜蛍光像。直径約30μmの球形藻類細胞周辺に数μmのバクテリア細胞が高密度に生息している。遺伝子解析から、アスタキサンチンを産生する耐冷性従属栄養性Hymenobacterが検出されている)。

  • fig8

    写真8: 南極における赤雪微生物生態系の模式図


  • バクテリアがつくる赤い雪


  • 彩雪現象には、光合成とは関係なく、バクテリアの働きによって起こるものがあります。尾瀬のアカシボ現象はこちらのタイプです。

    雪の多い地域にある湿原では、雪解けとともに、泥炭層の水中に溶けている還元鉄が積雪の下から上へと浸透していきます。大気中には酸素があるため、これを利用して、鉄を酸化させるバクテリアが水に溶けない酸化鉄をつくりだします。

    アカシボ現象には、この鉄酸化バクテリアの存在と、自然に作られた酸化鉄、その他にもメタンの酸化や鉄の還元に関わるバクテリアの存在などが関係していることがわかっています。しかしそのメカニズムは複雑で、解明されていない点も多いのが現状です。

  • fig9

    写真9: 群馬県尾瀬沼で観察されるアカシボ現象とアカシボ粒子。


  • 太古の地球の謎に迫る


  • さて、冒頭で紹介した「血の滝」。
    これはテイラー氷河の末端の、氷床下湖から流れ出る水が空気にさらされる場所で観察されています。

    氷床下湖とは、南極大陸の岩盤とそれを覆う氷床との間にある湖。テイラー氷河の氷床下湖は、海水が凍るときに塩類や有機物などが排出されて、海水が濃縮された状態のものです。 水の中には、氷河の動きによって岩盤から削り取られた酸化鉄に由来する鉄(還元鉄)が豊富に含まれています。湖の水には硫酸塩も多く含まれていることなどから、微生物の働きによって酸化鉄からの還元が行われた結果、氷床下湖に還元鉄が豊富な状況が生まれていると考えられます。

    氷の下400メートルの、光も届かず酸素もない海水の中で、微生物たちは鉄還元で栄養を得て生き延びているのです。

    「血の滝」は、氷床下湖の水に含まれた豊富な鉄が、大気中の酸素に触れたことで酸化し、生じた現象です。
    しかしながら、大気による酸化以外に、微生物による鉄酸化の可能性も考えられます。尾瀬のアカシボ現象との共通点もあるかもしれません。

    「血の滝」現象における氷床下湖の水は、新原生代(10億年〜5億4200万年前)の地球の海と似ています。「血の滝」現象の研究は、太古の海の形成メカニズムや、地球が凍結されていた時代の微生物生態系の理解につながると期待されています。
    また、彩雪現象は、微生物の活動が雪氷の性質を変化させ、雪融けを加速させることで周辺環境に影響をおよぼします。今後は気候変動の観点からも、解明が進むことが期待されています。


  • fig10

  • 教授 福井 学

    1960年生まれ、新潟県出身。専門は微生物生態学。
    1989年から通商産業省工業技術院公害資源研究所(後に資源環境技術総合研究所)に研究員、主任研究官として勤務。
    1994年より1年間、ドイツのマックスプランク海洋微生物学研究所で在外研究。
    1998年から東京都立大学大学院理学研究科に助教授として勤務。
    2004年より現職。
    2005年より第47次南極地域観測隊夏隊で、南極沿岸湖沼、沿岸海洋および大陸雪氷において微生物を中心として寒冷圏生態系の調査。
    ドイツのブレーメン大学との大学間交流にも力を注いでいる。
    趣味は、ブログによる研究発信:『低温研便り』


  • 2016年4月12日公開

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