研究概要
研究グループ紹介
低温科学研究所の宇宙物質科学分野および低温ナノ物質科学分野のスタッフが協力し研究を進めています.異なる出身分野(物理,地球科学,化学)のスタッフが分野にとらわれないユニークな研究を共同で行っています.研究成果はさまざまな国際会議や学会、学術雑誌で発表され,高い評価を得ています(主要な国内学会:「日本物理学会」「地球惑星科学連合」「原子衝突学会」「日本惑星科学会」「結晶成長学会」「化学反応討論会」「顕微鏡学会」など).
最近の共同研究先
国内外の研究機関との共同研究を積極的に進めています.毎年,共同研究先の学生,研究員,教員がのべ数週間~数ヶ月程度滞在しています.
京都大学,東北大学, 理化学研究所,日立製作所, ファインセラミックスセンター, CSIC (Spain), University of British Colombia, NASA Goddard Space Flight Center (USA), NASA Ames (USA), Leiden University (Netherlands)
研究紹介
宇宙空間や地球・惑星大気で生じる原子・分子~ナノスケールのミクロな物理・化学現象素過程を様々な実験手法で研究しています.特に,宇宙空間の低温領域や地球高層大気に存在するH2O固体(氷)微粒子に着目し,そこで起こりうる物理・化学プロセスを中心に調べています.
氷微粒子は地球のみならず広く宇宙に遍在しており,その表面では地球惑星科学的に重要な様々な化学・物理プロセスが生じています.なかでも,星・惑星誕生以前の極低温領域(分子雲:T~10K)に存在するアモルファス氷微粒子(氷星間塵)表面では,極低温特有の原子トンネル反応が宇宙の始原分子(H2, H2O, CO2など), や有機分子の生成・進化・同位体分別に極めて重要な役割を果たしていると考えられています.また,原子トンネル反応などの,光やイオンが介在しない(非energetic)極低温氷表面反応は化学・物理の分野でも研究例は限られており,広い分野に跨るフロンティアな課題で,当グループが世界を牽引しています.当グループでは原子分子・表面科学的な実験手法を用いて原子トンネル反応を中心とした氷表面反応を包括的に調べたり,電子顕微鏡や走査顕微鏡を用いてナノメートルサイズの微粒子(宇宙塵など)の生成過程や氷の表面構造・内部構造などを調べたりすると同時に,その地球惑星科学,天文学的な寄与を明らかにすることを目指しています.最近得られた代表的な成果および今後のテーマを以下に示します.
- 氷星間塵表面でのトンネル反応によるH2CO, CH3OH生成および重水素濃集機構
最近の天文観測で,分子雲には始原的有機分子であるホルムアルデヒド,メタノール分子が大量に存在し,さらにその重水素体(水素原子が重水素原子に置き換わった分子)の量が地球に比べ4桁も多い(重水素濃集)ことが確認されています.分子雲は極低温領域のため通常の化学反応は極めて起こりにくく,大量のホルムアルデヒド,メタノール分子の生成メカニズムは謎でした.当グループの実験により,これらの分子は分子雲に浮遊する氷星間塵上で,量子力学的効果である低温特有の原子トンネル反応(CO→HCO→H2CO→CH3O→CH3OH)によりCO分子から効率よく生成されることが初めて明らかになりました.現在の天文学分野では当グループの実験が広く知られ,宇宙におけるホルムアルデヒド,メタノール生成モデルとして認識されています.また,その後の研究で,ホルムアルデヒド,メタノールと重水素原子の表面反応により重水素化が活発に進むことを示し,これまで考えられていなかった新しい重水素濃集プロセスを提起しました.これらの成果は国際学術論文誌や学会誌に発表されています.
- 水素原子トンネル反応の同位体効果と表面構造依存性
氷星間塵表面における分子生成の鍵である水素原子トンネル反応は,量子力学的な粒子の波動性に関係しているため,反応に関与する原子,分子の質量に大きく依存します.従って反応の同位体効果を調べることにより,反応のポテンシャル等の情報を得ることができます.当グループではアモルファス氷表面における水素原子とCO分子のトンネル反応を同位体効果を重水素原子を用いて実験で調べました.その結果,重水素原子を用いた実験では反応速度が著しく遅くなることが明らかになりました.また,この反応を多結晶氷表面でも行ったところ,実効的な反応速度がアモルファス氷表面に比べて1桁程度小さくなりました.この結果は,アモルファス氷表面がより多くの水素原子を吸着させる能力を持つことに関係していることが分かりました.
- 水素原子トンネル反応による水分子生成
氷星間塵の主成分である水分子はどのように生成したのでしょうか.真空中で生成した水分子が星間塵表面に吸着したと考えると,天文観測による推定量は説明できません.当グループは,水分子が星間塵表面上での水素原子-酸素分子トンネル反応により生成することを,実験的に示すことに成功しました.水分子生成のトンネル反応はホルムアルデヒド,メタノール生成反応に比べ2桁程度速いことが分かりました.また,実験で生成したアモルファス氷の赤外線吸収スペクトルは,天文観測による氷星間塵のスペクトルとよく一致しました.この研究は,宇宙で最初の水分子の生成メカニズムを明らかにしたもので,画期的な成果といえます.
- 氷表面(アモルファス,結晶)における水素原子拡散と水素分子生成
宇宙空間で最も存在量が多い分子は水素分子です.水素(H2)分子は水素(H)原子2つから成る極めて単純な構造ですが,2つのH原子が結合する反応を始めとする真空(気相)中の反応ではその存在量が説明できません.十分な量のH2分子を生成するためには星間塵表面でのH―H原子結合(再結合)反応が必要であることは1960年代から指摘されていましたが,星間塵表面でのH2分子生成反応に関する詳細な実験が行われるようになったのは2000年代に入ってからです.星間塵表面での再結合反応に至るまでにはH原子の表面への吸着及び拡散が必要になります.これらの物理素過程(拡散の活性化エネルギー等)についてはここ数年世界的な論争が続いていましたが,最近当グループは,H原子の極低温アモルファス氷表面拡散の活性化エネルギーを,実験的に測定することに成功し,この論争に終止符を打ちました.H原子表面拡散は表面のポテンシャルに強く依存します.表面のミクロな凹凸が少ない多結晶氷表面では拡散が格段に速くなることも分かりました.H原子の表面拡散はトンネル拡散を含め,物理的にも興味深い研究対象で,今後も取り組んでいきます.
表面で生成したH2分子のエネルギー状態や核スピン温度を調べることは,天文学はもとより化学・物理学的視点でも興味深いことです.H2分子生成の際には4eV(~10-18 J)程度ものエネルギーが発生しますが,そのエネルギーがどのように消費されるか(表面,H2の運動エネルギー,内部エネルギーに分配される)を知ることは宇宙化学にとって大変重要です.当グループではレーザーも用いた分光学的手法で,これまでにH2分子生成直後の核スピン温度と氷表面でのスピン温度の変化を観測することに成功しました.
- 氷表面ダイナミクスの直接観測
TEM,SPMを用いた実験進行中 -
実験装置
以下に当グループが所有する実験装置について簡単に説明します.
- 表面実験装置
ほとんどの実験は左の写真のような超高真空実験装置を用いて行われます.装置内は10-8~10-6 Pa程度の超高真空に保たれ,中心に冷凍機によって10K程度まで冷却可能な基板が設置されています.基板上にはH2O等のガスを蒸着し,試料固体を作製します.試料には原子線,紫外線などが照射出来るようになっています.試料固体はフーリエ変換型赤外分光計によってその場観測され,真空中に脱離してきた分子は四重極質量分析計や波長可変レーザーによって分析されます.
- 原子線源
地上では分子で存在する水素(H2)や酸素(O2)等をプラズマ中で原子化(H, O)し,原子線を生成します.このような原子は反応性が極めて高く,試料表面上の分子と強く相互作用します.氷などの固体表面上での原子-分子プロセスは宇宙空間で重要な役割を果たします.
- フーリエ変換型赤外分光計(FTIR)
赤外線吸収分光により試料表面に存在する分子を同定し,分子数密度などの情報を得ることが出来ます.
- 波長可変色素レーザー
真空中に存在する原子,分子を同定し,それらの内部エネルギー状態を調べることができます.共鳴多光子イオン化法(REMPI)を用いることにより,極めて精度の高い測定が可能になります.
- YAGレーザー
波長可変色素レーザーをポンプするために使用する.また,固体表面上の分子を光脱離する際に用いる.
- 低温ドリフトチューブ実験装置
現在作製中の装置で,主として理化学研究所との共同研究に使用する予定です.地球大気や宇宙空間に存在するクラスターや微粒子が,原子,分子からどのように成長したかを詳細に調べることが出来ます.
- 極低温超高真空原子間力顕微鏡(AFM)
低温研の共同利用装置です.真空中の低温固体表面を原子レベルで観測することが出来ます.
- 超高真空極低温透過型電子顕微鏡(TEM)
低温研の共同利用装置です.超高真空の電子顕微鏡中で低温の基板上に氷などの試料を作製することができ,それらを原子レベルで観察できます.また,電子分光が可能なため,元素組成や電子状態に関する情報も得ることが出来ます.