共同研究報告書


研究区分 一般研究

研究課題

多成分脂質膜の低温における相分離構造に関する光学観察・振動分光法による研究
新規・継続の別 新規
研究代表者/所属 大阪大学理学研究科
研究代表者/職名 准教授
研究代表者/氏名 金子文俊

研究分担者/氏名/所属/職名
 
氏  名
所  属
職  名

1

片桐千仭 数理設計研究所 研究員

2

佐崎元 北大低温研 教授

研究目的  昆虫の体表を覆う脂質は、体表からの水分の蒸散を抑制する。熱帯を起源とする昆虫は、徐々に寒冷な地域へも生息の範囲を広げてきているが、その過程で冬季の乾燥状態に対する耐性を獲得した。昆虫の耐寒性を理解するために、体表脂質の構造と性質の研究は重要である。体表脂質については、2002年にA. G. Gibbsが液体状ドメインと固体状ドメインから構成される膜構造、すなわち相分離モデルを提唱している。これは体表脂質の最も有力なモデルであるが、現在までこのモデルを実証する構造科学的研究は行われていない。本研究では、主に赤外分光法を活用して脂質分子の分子形態、パッキング、配向に関する情報を収集することを目的としている。
CH2挟み振動領域の赤外スペクトルとその2次微分スペクトル  
研究内容・成果  本年度は、入手の容易さ、そして組成が比較的単純であることを考慮して、ワモンゴキブリの体表脂質の構造を検討することにした。組成面での特徴は、6位と9位にcis-二重結合をもつ多価不飽和炭化水素cis, cis-6,9-heptacosadiene [以下 27:2(6,9)]が72%も含まれていることである。一般に、cis-不飽和結合は炭化水素鎖の密なパッキングを乱して凝集力を低下させ、融点を低下させる。従って27:2(6,9)のような多価不飽和脂質が高含量である系は、低温域から炭化水素鎖の立体配座規則性は著しく低下した状態にあると、通常考えられている。しかし私達が赤外分光法で調べた結果、ワモンゴキブリの体表脂質は、組成に基づく予測とは大きく異なり、以下のように高度に秩序的な構造を含んでいることが明らかになった。
(1) 2920cm-1付近に現れるCH2逆対称伸縮および2850cm-1付近に現れるCH2対称伸縮の赤外バンドの振動数は、炭化水素鎖の配座規則性に敏感である。このワモンゴキブリの体表脂質の赤外バンドは、液体状態における炭化水素鎖の赤外バンドよりも、20℃付近では少なくとも数cm-1程度は低波数側に出現している。これは、ワモンゴキブリの体表脂質は、この温度付近では、かなりの秩序性を有していることを示している。上記のバンドのピーク振動数は、25℃付近においても液体状態よりも明らかに低波数シフトを示している。ワモンゴキブリの通常の棲息温度において、体表脂質はある程度は秩序性を維持していることが分かる。
   またこれらのバンドは非対称的な形状を示し、特に高波数側に広がりを示している。これは、規則的な炭化水素成分に加えて、秩序性の低い炭化水素成分が存在していることを示唆している。
(2) 炭化水素側面方向のパッキングを反映するCH2挟み振動領域においても、斜方晶型(O⊥)副格子構造を反映する1463cm-1と1473cm-1の分裂が観測される。また六方晶型(H)副格子を反映する1458cm-1のピークが現れる。これは、表面脂質に異なった炭化水素鎖の充填様式をもつ領域が存在していることを示唆している。

(3) CH2横揺れ振動にもO⊥副格子の分裂が、720および730cm-1に現れる。
(4)翅の偏光ATRスペクトルでは、CH2挟み振動領域の分裂は、翅の面に垂直な遷移モーメントをもつ振動が強調されるp偏光に比べて、平行な遷移モーメントをもつ振動が強調されるs偏光においてより明瞭に観察できる。秩序性の高いパッキングを形成している炭化水素鎖は、翅の面に対して垂直方向に優先的な配向をしていることが示唆される。
  
 上記の結果は、分子鎖のコンフォーメーション秩序性、充填構造の秩序性の程度の異なる領域の存在を示唆しており、Gibbsのドメインモデルを指示する結果となっている。また、表面脂質の性質は主成分の性質だけ決まるのではなく、低含有量の成分との相互作用もその構造と性質に大きな影響を与えていることが示唆される。
CH2挟み振動領域の赤外スペクトルとその2次微分スペクトル  
成果となる論文・学会発表等